秋葉原で無差別殺人があって、非常に残念。赦されないことだ。絶対に赦せない。被害者の方々は本当に可哀想だ。強調しておく。でもきっとこういう事件は続く気がする(別に自分が加害者になるわけじゃない、念の為)。だってこれまでも何回かあった。
前は追い詰められた人は、多くの場合自殺した。だから一人で死んだ。でも今は無差別に一般人を攻撃する。これが厄介。でも防ぐ手立てはあまりない。突然だから。じゃあどうするか。もう一度強調するが、犯人は憎い。だから赦されない。それはそれとしても、どうしてあのような犯人が生まれたかを考えないと、根本的な解決にならない。彼を形成したこの社会にも大きな問題があるはず。
犯人は、彼女が出来ない、友達がいないしできない、一人ぼっちだ、親に見捨てられた、使い捨ての派遣社員だ、電車では彼の隣に人が座らない、不細工である、勉強で落ちこぼれた…とか、いろいろ書き込んでいたみたい。決してそんな犯人を擁護するつもりは無いが、もしこうなったら、人々はどうなるだろう。どうでもよくなってしまうんじゃないか、彼みたいに犯罪を犯さなくても。彼を抑止するものが無いんだから。彼は彼女がいたら犯罪は犯さないと、ネットに書き込んでいた。これはなんとも哀れだ。失うものは、彼には何も無かった。でも一般人は被害者になる。ということは、大きく考えると、これは我々の問題でもある。この先また人々が他人のことを恐れて暮らすようになるかもしれない。悪循環。疎外される人々が出てくる。
話は変わって例えば帰国子女について考えてみる。例えば米国で長年暮らした日本人が日本に帰国したとする。当然だけど言動のパターンは違う。何故だろう。米国の社会と日本の社会が異なるからだ。ということは、人間の成長過程に対して彼又は彼女が暮らす社会は大きな影響を与えると言える。じゃあ件のような事件が多発するなら、社会の成員全員がそれについて考えないと。恐れるだけじゃなくて。
日本の某全国紙に「犯人は一人で死ねば良かった」なんて辛辣に書いてあった。亡くなった無辜の被害者は戻らないという意味では確かにそのとおり。しかし、何と無責任な話だろう。「社会の公器」とは程遠い。
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