Saturday, 26 April 2008

聖火リレーなど…

昨日も今日もほぼ一日外出していたからちょっと疲れた。天気が良かったけど結局日没後はかなり寒い。昨日は突然、難しそうな依頼というか打診があったから驚いたけど、何とかやれたらいいな。

聖火リレーが日本と韓国で行われて、逮捕者が出たものの、まぁ大きな問題も無く終了した様子で良かったと思う。中国びいきじゃないけど、オリンピックは良い大会になって、無事に成功して欲しい。国際関係や政治や人権とかと、とりあえず切り離して、中国という場所を借りて行われるスポーツの大会ということのはずだから、それを純粋に応援するのが筋だろうと思う。そんな筋通りにいかないのが常だと思うが、それでもやはり、聖火リレーとかに反対する輩は変だ。新疆やチベットでの人権問題に関しては、そこからの出身者からも直接聞いたことはあるし、当事者から見れば国際社会へ訴えることのできる絶好の機会だろうと思う。だから当然その権利はあると思う。但し正当な方法で。でないと動物愛護・環境保護テロリストと同じ穴の狢だ。

ある健全な愛国主義者であると思われる中国人に言わせると、中国には改善される余地のある問題が多くがあって、そのうちのいくつかが聖火リレーがきっかけになって注目されているので、それを中国政府は認識して改善してゆけば良いとのこと。これはなんだか、いつか話したトルコ人がEU加盟の是非は別として、結論が出るまで、出来るだけ多くの改善が為されれば良いと考えていたのと似ていると思った。

それにしてもこういった人権や環境保護関連のデモや抗議行動は、なかなか厄介だと思う。人間がいる限り人権という曖昧だけども重要な問題は存在し続けるし、同様に環境保護はその重要性を否定するのは難しいからだ。これが政治的イデオロギーなんかだったら、つまり人為的な問題であれば反論、議論の余地があるんだけど。だからこういった問題に絡んでは、国境を越えた連帯や結束が作られやすいけども、それに対抗することはなかなか困難だ。異なる価値観等を持つ主体の出来ることは、国単位とか、比較的小さな単位で立ち向かうしかないように見える。捕鯨問題での日本や聖火リレーでの中国のように。そこが残念だ。他方、デモする人々はそこに寄生し続けることが出来るから、ある意味ずるい。

「未来学」という学問分野があって、学者諸氏は、これまでの社会構造、世界構造の変遷や問題点を総括して、これからの社会への提言をしているようだ。そんな記事を最近とても興味深く読んだ。冷戦終結及び9.11に象徴される今日の世界はどうやら、歴史的な転換点にあって混乱しているとのこと。確かにそんな気もする。自然科学と社会科学は決定的に違うけれども、それでもなお社会科学が必要なのは、こういった問題に挑戦するからだろう。答えは当事者によって違って然りだけど、その当事者間の違いを超えた部分で、何か見つけられないだろうか。

end

No comments: