もうちょっと遡って、高校の時の話。相当やんちゃだったから、田んぼとイチジク畑に囲まれたその山間の町が天下で、悪友共と一緒に天下をとった気分になっていた。住所も「森2丁目」とか「山4丁目」とかだった。時々山を越えた街からうるさいバイクでやって来る連中に、外界の存在を意識させられた程度。
そんな頃、田んぼの真ん中に飲み屋がいくつか入った二階建てのテナントビルができて、その中の焼き鳥屋にちょくちょく通うようになった。いろいろ理由をつけて。バイトの給料が出たとか、バンドの練習打ち上げとか、誰かの誕生日とか、勉強なんか全くしなかったのにテストの打ち上げとか。
チューハイの種類が多くて大きな肉の焼き鳥で、好きな店だった。というか、そこしか知らなかった。というわけで一週間に一回くらいは行ったのだけど、学ランのまま、セーラー服のままで皆行っていた。そして節約しながらも、日付が変わるくらいまで、できるだけたくさん飲み食いをした。そして自転車やバイクで帰った。次の日には二日酔いで遅刻してきた上に、教室の横長の物入れの中で皆の体操服を布団にしてその中に埋もれて隠れ、昏々と眠り続ける奴もいた。そんな破天荒な我々を見て心配したのか、悩み事でもあるのか、非行じゃないのか、なんてつまらんことを言う教師もちょっとだけいた。
50台くらいのマスターと奥さんのあっちゃんは、いつも嬉しそうに迎えてくれた。でもどこか素人っぽい二人。特にマスターはかなりインテリそうで、白過ぎるTシャツに汗してせっせと焼き鳥を焼いてくれた。三つしかない座敷の大き目の机に陣取って、そこで出るキャベツをたくさん食べ、あっちゃんの運ぶチューハイを飲んで学校の話をしながら、焼き鳥を待つのだ。大学に入ってからも遠路はるばるその店に数回行ったのだけど、それ以来ご無沙汰で、つい最近、マスターが亡くなったことを知った。調理に忙しかったマスターよりもあっちゃんとたくさん話した。だけど一回マスターに、「最近教育委員会とかのお客さんもいるから、学ランの上だけ脱いでくれ、女の子はセーラー服の上に何か羽織ってくれ」と懇願されたのは覚えている。
いつかまた必ずその店に行きたいと思っていたから、とても残念。あっちゃんは元気だろうか。焼き鳥(および鶏肉)が今でも大好きなのは、あの店に通ったからという理由が大きいと思う。楽しい時に食べたものは、きっとずっと好きなんだろう。
「あの頃の未来に、僕らは立っているのかな」という歌詞がある。その頃には想像さえしていなかったことを、今の自分はしている。今は、始まった事柄に集中して、確実にやりたい。いろいろなことに興味がある。だけどその焦点を極力絞って、そこからチョロチョロ派生するように、との助言を頂いたので、そのとおりにしてみるつもり。滑り出しは悪くない。落ち着いてやればきっと大丈夫だ。I strongly hope it is the very right place!

end
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