コミュニティという概念に関してレジュメを作っていたのが、やっと今日終わって、やっと眠れる。さっき既に力尽きて寝てしまった。抽象的な概念だけど、その分だけ応用可能だと思うから、ちょっと頑張って良かった。頭の中でわかるだけというのは、しかしながら避けたい。
寝ると言えばどこでも寝られる人がいて、例えば床屋でも寝るみたい。刃物を持った他人の目の前で寝るなんて怖いけど、誰かが「それだけ安心して身を任せているんだ」というようなことを言っていた。つまり無防備で全身と命も委ねることができるほど安心しているということだ。
あと別の話だけど、例えば何か本を読む時に、外国語で書かれたものを読むとする。その場合、外国語のまま読むのと、翻訳されたものを読むのと、二つ方法がある。前者の場合の方がずっと良い。後者だときちんと意味が届いてこない場合があると思う。例えば「古池や…」の俳句も、英語にするとThe old pond ah! A frog jumps in; The water's sound!ということになってしまって、静けさとかの情景が伝わらない。
また、書かれている概念が、二つの異なる言語が話されている場所において共通のものかどうか、分からない時がある。だけど書かれているものを読むにつれて、あたかも共通のもののような気持ちにならないだろうか。もちろん実際にその概念が言語の壁を越えた共通のものであれば、単純にそれは翻訳を通して多くの新しい概念に気が付いたりする機会が得られるわけで、その良さは否定できない。でも共通かどうか、どうやって知ることができるだろう。次に内容に関しても、読むことで終わるならば一次的理解で、それを咀嚼して旨みを抽出するのが二次的理解とすれば、それを伝える時に三次的理解が一人歩きしないように注意する必要がある。できれば中間の段階を少なくするのが良い。伝言ゲームみたいに間違いが減ると思う。
疲れてきたからもう一回寝よう。本格的に寝よう。
end
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