さて今日はまた大変に忙しかった。研究発表が午前中にあり、少し緊張していたもののなんというか、そつなくこなしたような感じだ。思ったよりも大変ではなかったから、一安心。聴衆や質問者の様子を見ているだけでも、多くを学ぶことができる。これは日常の生活の中でも言えることだ。思考や学びの為の材料はありとあらゆる所にある。それをどうやって活かすかということが重要だ。
人だってそうじゃないかと思う。人材ならぬ人財は、いろいろな所にある。重要なのは、それを認識した上で、どのように自分をPRするかだろう。
さて幸福とは何ぞや。今日は午前中に研究者や研究者の卵達と一緒に過ごした。午後は、彼らが日々思考するような世界とは全く無関係のところで生きている人人と一緒であった。ここ数ヶ月従事している研修プログラムの一環で、研修生と共に最後の発表会に行ったのだ。そこで20歳前後の若者達と過ごした。彼らは学問的な知識はかなり少ない。しかし屈託が無く、素直で、元気で…。かたや午前中の人人は慎重、論理的、控えめであった。どちらが良いかは分からない。でも表情としては、若者達の方が(と言っても研究者の卵達だって同じくらい若いのだけど)ずっと晴れやかであった。自分で言うのも変だけど、かつての自分はきっとその中に入っていたと思う。
いかんせん研究者などの論理的な人人は、知識を体系化して自分のものにするという術を見に付けている場合が多い。しかしそのせいで、その体系に入りにくいものや入らないものを拒絶するということはないだろうか。積み上げてきた体系が崩れるのを怖れて…。この意味で柔軟性が無い。前例に頼る。改革、変革にはバカモノの果たす役割が多いといわれるが、そういった自由な発想こそ学問には必要なのではないかと思う。
もう眠いから寝る。
end
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