Sunday, 28 September 2008

恥について等

今日は買い物したり、ジムに行ったりして過ごしたので、気持ちが良い。寒いなぁ。でもこの寒さが気持ち良いのだ。久々に服も買った。

新しい首相のちょっと面白い動画を先日ここに載せたのも束の間、早速国土交通大臣が辞任したようで…。しかしどうなんだろう。一連の問題発言を見ると、一体どんな感覚だろうかと思ってしまう。また大臣自身の意見があって当然だけど、そして発言内容には一理あるようなところがあるにせよ、いかにも短絡的な還元を堂々とやってしまうとは…。不思議なのは、このような人が、必ず出てくるということだ。不思議。きっとこの大臣で終わり、とはならず、必ずまた出てくる。バブルの膨張と崩壊のようだ。

この人達が学生の頃とか、初当選した頃なんかは、きっと、それ程感覚も変ではなかったに違いない。むしろとても熱い気持ちだったのではないかな。そうだとしたら、それが段々と変わっていったということになる。人間は周囲の社会環境にかなり影響されているので、その環境を構成する他人にもまた影響を受けているということになる。この時、準拠集団という概念が出てくる。これによると、けっこう出来上がった考えを持つ人であっても、自分の周囲の人間に同調し、同じ様な言動をするようになるというもの。誰かが前に日本国外務省は伏魔殿であると言ったけど、外務省に限らず、そして中央省庁に限らず、一般の人々の生活にとても近い場もまた、きっとそういった側面があるのだろうと思う。

さて、こういった事件があると、「恥ずかしい」と思うことがある。賛否両論あると思うけど、ベネディクトの「菊と刀」でいう「恥の文化」というところかな。つまり、ああ、こんな大臣がいて恥ずかしいな、と思うことが、あると思う。例えば日本以外の国に対して。これには個人の差があると思うけど、ある程度、個人や集団の言動を規制する力があると思う。ただ、これには主体性が無い場合がある気がする。と言うのも、外部に対して恥ずかしい、と思うということは、他者の基準に拠る部分が大きいからだろう。恥ずかしいから、何かをしない、言わない、ということは、裏を返せば、自らの判断基準が希薄であるということに繋がってはいないだろうか(もちろん社会においては、他者との関係は重視する必要があるけど、これは当たり前のことだから、脇に置いておく)。つまりなかなか自浄されないということか…。

まあしかし、件の大臣も遠からず、何事も無かったかのように、戻ってくるだろうと思う。この一連の辞任劇は空気のように雲散霧消してしまうと思う。こういう類のやり直しは看過される一方、一般的な意味で、妥当であるべき再チャレンジの為の土壌が整わないというのは、社会構造の全体的に流動性が足りないというか、保身的、官僚的なのかなと推察できる気がする。

end

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