寝る前の束の間の時間が好きだ。なんか、旅行とか休日が始まる前日の夕方前に感じるような、うきうきした気持ちになる。あっという間に寝てしまうから残念。でも最近夜明け前に目が覚める。
幸運な事に、常に外国人との接触がある。いつも思うのだが、視野が広い人がやっぱり多い。頑張ろう日本人、そして自分も負けずにますます自己研鑽しなければ!
そして頑張れ日本。何故、そしてどんな時にそう思うか。例を出す為にちょっと飛躍させてもらう。例えば高等教育とかで、日本では外国の文献を参考にする事が多いと思う。これまでも、高等教育や研究機関等にいる人々といくらか関わった経験もあって、そう思う。もちろん諸外国でその分野が進んでいるならば問題は無い。でも、必ずしもそうだろうか?となると、単純に外国に学習すればよいのだろうか?日本ではできないのだろうか?
もちろん、今の世界は英語系、アングロサクソン系の世界だから、そこから発信される情報等はある意味無視できない構造になっていると思う(因みに、諸外国人との日常会話でも、ある程度これらの情報を知っていないと話題が限定的になり得る)。だから、当たり前のように洋書講読なんてしている。自分は高等教育を外国で受けたから、今や外国語文献の方がずっと馴染みがあるし分かりやすい。でもそうでなければ、必ずしもそれを日本でやる必要ないだろ。例えば原語で読んでも大変な場合が多くて(そして概念も違って)、「読む」或いは「理解する」ことが主目的になって、「批判する」、「考察する」ことが二の次になったりしないのだろうか(第一、言語が分かったって、内容が内容ならば理解、考察は一苦労だ)?そして訳本を読むとしても、翻訳→出版まである程度の時間差があって、「最新」の情報ではないことも多いだろうし。もっと日本から発信する方向に動いてもいいんじゃないかな。どうかな。でないと、いつまでたってもそこから「情報着信地」という立場から脱却できないし、同じものをより深く理解できる外国人に追いつくことは難しい。
以下、忍者の図。そしてここをクリックすると、懐かしいあの人の声。このブログに設置してある音楽をストップしてからどうぞ。忍者といえば侍も忘れちゃいけない。

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