数日前に昨今のブログ人気に関する番組があった。日本のブログの数は、世界でも多い方らしい。ブログによっては相当数の読者がいて、かなりの影響力があるらしい。その番組は、数人の超人気ブログ運営者を紹介していた。本の紹介専門のブログ、経済ニュースのブログなど様々。ブログを通じて人気が出て、本を出版することになった人も紹介されていた。いずれにしても「元々作家ではない人の視点」で書かれているのが売り物になっているとのこと。
彼らには、たくさんの企業が商品やサービスをブログで紹介してもらうために接触したり商品見本を提供したりしているとのこと。その後で米国の事例が紹介された。アメリカでは、北米大陸を大型スーパーマーケットの駐車場で寝泊りしながら横断した男女の日記が大人気となったが、この二人は実は大手スーパーマーケットの依頼で素人のふりをしてブログを書いていたことが発覚して議論を呼んだらしい。というわけで、「素人」によるブログのように見えても(または「素人」によるブログとして始まっても)、実は(だんだんと)「スポンサー」等の影響を受けて、中立性が無くなる場合が結構あるとのこと。
ブログは自由に情報発信できる場所なので、運営者である個人や団体の趣向・思想等が反映されて当然だ。だからスポンサー付きのブログであっても、ブログ運営者の判断だからそれはそれで良いと思う。ただ番組を観ていて一つ考えた。自由や独創性を追求しても、結局は既存の構造に類似してくる、あるいは吸収される可能性があるという、以上のような現象はけっこういろんなところで起きる可能性があると思う。国家レベルで言うと、例えば資本主義の欠陥を排除して平等を目指す社会主義・共産主義国家でも指導者層は特権を維持したり、もっと小さなことで言えば学校の規則に抗う人々、例えば暴走族でも、序列や厳しい決まりを作ったりする。
完全情報は無理としても、多くの人々が比較的自由に情報発信・入手ができる世の中になってきたはず。懐疑的になりすぎても良くないが、その情報に溺れないようにしながら、役に立つ情報を取捨選択したい。自分で見て経験して考えるということはもちろんだが、何を基準としてそうするかが大切だと思う。それが分かった時に、自由になる気がする。
下の写真で遠くに見えるのは、韓国側から見た北朝鮮の街並み(煙が上がっていたので工場かもしれない)。巨大な国旗がはためいていた(韓国側よりも大きく高く作り変えられたと聞いた)。
<了>
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