事務所の近くには公立の美術館があり、その周辺には雰囲気のある「喫茶店」や小さな画廊がある。その小さな画廊の一つの出窓に、トルコ・イスタンブール旧市街の世界遺産地区にあるブルーモスクの絵がある(下は本物の写真)。イスタンブールには約半年滞在した事があるので、その頃の事をちょっと思い出す。というわけで、今日はトルコネタ。
以前イギリスからトルコに旅行に行った時に、機内で隣にイギリス留学中のトルコ人の女子大生が座り、話が弾んだ。彼女は、英語で、「トルコはヨーロッパの国だから、早く他のヨーロッパ諸国のように発展して欲しい」と言っていた。トルコ到着後、トルコ人の友人F君の自宅に招かれて歓待を受けた。食べ切れないほど多種多様の美味しいトルコ家庭料理を振舞ってくれた(日本ではトルコ料理店は少ないが、トルコ料理はフランス、中華と並んで世界三代料理と言われている)。F君の家族は、相変わらず温かい家庭で穏やかなイスラム教徒として暮らしていた。英語のできないF君は、殆ど独学の日本語で、「トルコはアジアにあって幸せだ」と言っていた。トルコは地理的にアジア(東にはイラン)、ヨーロッパ(西にはギリシャ)、中東(南にはイラク)のいずれにも分類され得る。
物事を判断する際には、極力多角的に考える必要がある。だから彼らの両方と言葉を交わせて幸運である。片方と話さなかったら、「トルコ人は『トルコはヨーロッパ/アジアだ』って言っていたぞ」と吹聴していたかもしれない。そして仮に自分が日本人でなければ、国際語である英語の情報しか入っていなかったかもしれない。この意味で、英語は便利だけど、ちょっと危ない部分もあると言えるかもしれない。因みに自分は、トルコは「近中(東)アジア」(造語)じゃないかと思う。
ついでに。F君の家にはF君のお姉さんの赤ちゃんがいて、食卓のジュースをパンにこぼしてしまった。スポンジのようにジュース(確かスプライト)を吸ったひとかけらのパンを、自分が食後の片付けを手伝った際に捨てようとすると、「アラー(神)が恵んでくれたものを捨ててはいけない」と諭された。食べ残す等して食べ物を粗末にする事はかなりの愚行だと自分でも思っていたが、そのパンをストーブの傍に置いて乾かし始めた彼らには完敗であった。
イラクのイスラム教宗派対立が止む気配はないが、イスラム教徒も色々なのだ。例えて言えば、ほとんど全ての交通事故で悪いのは運転者であって、車ではないのと似ている。
(下は、見方によって見える物も変わる騙し絵)

<了>
No comments:
Post a Comment