久しぶりの書き込み。今日は寒かった。2-3日前、事務所の外に駐車されていた誰かの車に駐車違反のシールが貼られた。シールを貼ったのは、民間の違法駐車監視員だ。5分くらい?その車の前で待った後に、申し訳無さそうに貼っていた。貼った後は、逃げるように歩いていった。
最近電車の中で本を読むことが多い。以前は読まなかった。いつもの乗車時間自体は少ないし、そもそも本はじっくり考えながら読みたいし、また電車内での人間観察も面白いし、そして本に集中すると無防備になる感じがしたのだ。因みに、乗車時間が長くてもなかなか読書はしない。乗車時間の長い長距離の移動であれば、見慣れない風景の場所へ行くことが殆どで、よってその未知或いは普段見る機会の少ない風景を眺めた方が楽しい。ついでに書けば、夜ならば落ち着いて読書できそうだが、寝つきがとても良いので、すぐに眠ってしまう。というわけで、結果的には読みたい本は沢山あったものの、その割に読書はできなかった。
ではどうして車内読書を始めたのか。きっかけがある。それは少し前にiちゃんから面白そうな本を借りたことがあって、その内容が気になって帰りの電車の中でパラパラと読んだ事だ。その本はとても面白く、15分程度の乗車で驚くほど読み進んでいたのだ。あれ以来だ。それからというもの、電車に乗る際は本を携帯することが増え、余程車内が混んでいない限り何かしら耽読している。今は「葉隠入門」という本を読み始めたところ(冒頭からあまりの衝撃にノックアウトされかけている)。
本当は車内で新聞も読みたい。でも大きすぎてわさわさと広げて読むのは憚られるので、読まない。新聞はこれまた凄い読み物だ。世の中の出来事をある程度鳥瞰できる。ただ時として相当頭を使うことにもなり、集中できる状況でないときちんと読めない。あと、夕刊フジくらいに小さいフォーマットにしてくれたら良いのにと思う。新聞は、広告も面白い。例えば雑誌の広告は様々で、どんなものに対して皆が関心を持っているか(何がこれから流行することになっているか)が少し分かる。
メディアが発達して情報が無尽蔵に存在する。それぞれには程度の差こそあれ真実も含まれているだろうが、捏造云々も問題になっている。取捨選択するのは個人なので、有効な判断基準を持つ必要がある。何をもってそれを築くかは難しいが、古典、歴史、社会思想はその点で示唆に富んでいる気がする。
ここからおまけ。結構前に、イギリスのBBCで全く別の仕事に応募して面接に来た人が、同じ時間にテレビ番組の解説として招かれた人と同じ名前で、間違ってその生放送番組に解説者として出演してしまった事があった(下の動画)。女性アナウンサーに紹介された時、「あわわっ」という感じの最初の焦り様が笑える!しかしその後は当たり障りの無いことを言って、無難にまとめている…。まあこれは極端な例だけど、彼の最初の動揺が無ければ専門家に見えなくもない?
<了>
1 comment:
私は電車の中って集中して本読めるところだと思ってる^^ 家で読むのももちろん良いけど、それよりも集中できる気がして・・・
周りの人の声も、がたごという音も、全く聞こえなくなるよね。
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