Tuesday, 3 April 2007

桜の季節

4月になった。新年度だ。新年度は「デビューの時期」だ。「新しい出会いの時期」だ。「素敵な人との出会いの時期」だ。「恋が始まる時期」だ。「新生活が始まる時期」だ。「ケータイを新規購入する時期」だ。「おけいこ事を始めるのに絶好の時期」だ。そして桜もそろそろ咲く。その一方で春なのに、と言うよりむしろ、春だからこそのお別れもある。この時期は、人に対してだけではなくて、これまで過ごした環境その他との別れの時期でもある。だから春が始まる少し前は感慨深くなる事もあり得る。

以前、花にはあまり興味が無いとこのブログに書いたが、桜花は好きだ。かつて通っていた大学の近くには「学園花通り」という直線道路があって、4月には道路の両側に沢山植えられた桜の木が満開となってそれは美しかった。風が吹くと花びらが舞って、祝福されているような気にさえなった。その中をバイクで走り抜けるのは、なんとも爽快だった。でもその裏の通りで、スピード違反で捕まった、桜の季節じゃなかったけど(急な下り坂だという事は考慮されなかった!)。

桜は春に咲いて散り、来年の準備をするために元通りの姿になる。皆を楽しませてくれるのは、短い間だけだ。昭和から平成になった時(午前零時過ぎに気がついて、午前零時ちょっと過ぎまで時計の長針を逆戻りさせて記念撮影をした)、20世紀から21世紀になった時もまた(当時住んでいた、とある国の繁華街で独立派による爆弾テロがあった)、暫くすると普段の調子のままだった。

というわけで花が咲く、元号・世紀が変わるという事は、長い目で見ると一瞬の出来事であるという点では同じだ。違うのは、主体が能動的か受動的かという点だと思う。元号・世紀は変わる。後付けの物だから、勉強していても、寝ていても、酒を飲んでいても、口論していても、風呂に入っていても変わる。桜は犬におしっこをかけられたり、記念や悪戯で名前を幹に彫られたり、毛虫がうようよついたりしながら一年間開花のために整斉と準備している。だから春はお披露目の時期だ。人々が待っている。

桜の開花はほぼ新年度と重なるから、その人々も開花と同時期にお披露目ができる場合もあるだろう。周期が合わず花が咲かない場合もあるだろう、浪人生とか。人の場合、来年もまだ花が咲かないかもしれないし、場合によっては周期を短くして何度も開花することもできるかもしれない。人事を尽くして天命を待つしかない。問題は人事を尽くせるかどうかだ。そして天命を受け入れるだけの度量があるかだ。一方で、開花予想が当たっても外れても、桜花は同じ時期に必ず咲く。だから毎年我々は陽気に花見の話ができる。嬉しい話だと思う。

下は、学園花通り

<了>

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