今日は快晴だった。
空気はまだ冷たいものの、最近ダウンジャケットを着ている人が減ってきた。自転車に乗る人も増えてきた。自転車に乗るのは気持ちが良い。自分もマウンテンバイクを持っている。出そうと思えば結構スピードが出るので、風も気持ちよくて爽快だ。今年はまだ乗っていないけど。週末にでも手入れをしようと思う。
かつて、夏に道央を自転車で1週間くらい旅したことがある。テント、寝袋、着替え等を荷台に積んで走った。ある意味無謀であった。まず峠を見くびっていた(勾配と距離)。また夏も寒くなると思わなかった(当時は関西に住んでいたのだ)。そして体力の持続を過信していた(道中の食べ物を節約し過ぎた)。峠はきつかった。峠、寒さ、疲労、これら全てが容赦なく襲ってきた。
峠は長く、荷物のせいで自転車が重い。喉は渇く、峠の頂上に行くと寒い、偏った食事をしていたので体力が続かないエトセトラ。ところが道行く車やツーリング中のバイク野郎達は、自分に手を振ってくれたり、窓から顔を出して頑張れと言ってくれたりするから、かなりやばい状態にあったにも関わらず、なんとなく頑張らないといけないような錯覚に陥る。しかしながらやっぱりきつい。段々と自転車にすがるようにうんうんと歩くしかなくなってくる。遂に倒れそうになるところまでいって、ギブアップしようと苦渋の決断をする。ところが今度はなかなか自転車を載せてくれそうな車が通らない。そこで道端に時々しゃがんで休憩も入れながらまたうんうん歩く。暫くすると、中年夫婦の乗った車が止まる。彼らは車だから平気な顔をして周囲の写真を撮っている。その彼らから「頑張ってね」と飲み物をもらう。実は自分もまさかの時のためのウーロン茶を持っていたが、飲まずにいた。後から聞いた話だが、雪山などで遭難して餓死する登山家の荷物には非常食が残っている場合が多いそうだ。
結局そんな無謀な自転車の旅は、ギブアップ無しに終わった。ただその直後、当時流行っていた猿岩石に倣って一ヶ月の北米横断の旅をしたのだった。旅の最初の数日は、自転車旅行の疲労が原因で体調が悪かった。
よく考えてみればとにかくがむしゃらにいろいろやっていた。所謂自分探しだったような気がする。自分の限界がどこまでかを知るため、或いはその限界とされる線を向こうへ押しやるための試みだったような気がする。その後これまでも多くの事をしてきた。それらを通じて新しい考え方や経験がパソコンのソフトのように自分の中にインストールされてきた。ただ、自分という器はその当時と大きくは変わらない気がする。
<了>
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