最近の政治と言えば仕分けだ。いろいろ予算を削っている。それによって不利益を被る人々が出る。これは仕方が無い部分もあろう。ただあの仕分け人たちは誰だろう、と思う人も少なくないのではないか。ちゃんと調べれば分かると思うけど、動画とかで見る限りはそのへんの情報が無いから全く分からない。「有識者」だと思うけど、なんだか有識者ってのもよく分からない言葉だ。誰がどんな基準で決めているのだろう。
民主党に交替してから新しい試みがある。当然だろう。その一挙手一投足を批判するメディアがあって見苦しい。民主党がダメだから自民党に戻るのか?そうしたら絶望だろう。国民の判断が選挙で出た。しかし起こり得るシナリオは、しばらくして民主党がダメになって、他に選択肢が無くて自民党が仕方なく舞い戻る時だ。それはやばい。
あとは鳩の献金。もういらんだろ、というくらい金を持っている鳩。それでも献金疑惑。カクエイもそうだけど、金って、政治とは決して切り離せないんだな。その思いが強くなる。
再び仕分け。れんほーは変だけど、選挙で選ばれているので文句無しだ。ただなんだろうな、一つ思うこともある。れんほーを見て思うこと。例えば女性が「男勝り」と言われるとする。それはどちらかというと男女共同参画のような、肯定的イメージがある。ここで(この言葉によって)、女性が男性と戦っていることが分かる。痛快に思う人もあるだろう。しかしだ。「男みたいな女だ」や、「男か女か分からない女だ」という言葉を、「男勝り」の女性に言ってやったらどうだろう。喜ぶだろうか。「いや、私は女です」と言うんじゃないか?
そして、男勝りの女は短髪にするのかな。れんほーとかつじもととか。あの二人がきれいな長い髪だったら変だよな。でも一般的に男がするようなことはきっとしないだろう。あぐらをかいて座るとか。ということは女であることから完全には抜け切れていないのだな。その自己矛盾のようなエネルギーが男勝りな方向へいくのだろう。
女は女の魅力で勝負したらどうかと思うんだけど。それが本当の共同参画じゃないのか。平等とは違うものが同じになることだと解釈されているように思う。違うものが違うままで尊重されるのが平等だろう。
正論は正論で大切だけど、正論を必要としない人達には決して届かない。でも正論は正論でしっかり守っていなければならない。議論になったときに、揺らいではならない。
end
No comments:
Post a Comment