昨日、WW IIに少し関連するドキュメンタリー映画を観た。けっこう良かった。手作りのドキュメンタリーという感じで、音声とかが少し悪かったけど、全体の内容は良かった。連合国、枢軸国問わず公平であったと思うが、若干政治的な意図も見え隠れした。もちろんそれは映画、ドキュメンタリーなので当然ともいえる。
物事を判断する際、第一次的データというもの、つまり自分で見聞きしたりして収集したデータと、他人の見聞に基づく第二次的データがある。一次データは自分で見聞きするので、誰にどうやって聞いたかなどが大きく影響するし、二次的データは他人の意図が入っている場合もあるので、それもまた注意しないと。
特に最近環境や人権やその他諸々の、どのような人間であっても否定する根拠を見出すのが殆ど不可能な内容に関して(「大きな物語」という)、声高に叫ぶ人々がいるが、だからといって思考停止に陥って全てを諸手を広げて受け入れるべきではないだろう。自分で資料を収集、といっても自分で見聞きしてその背景やらについても少し考えた上で、判断しなければならない。
WW IIの終戦記念日がまたやってくるが、この時期には特にそういったことに思いを馳せたい。どうしてだかはよく分からないが、政治的な意図というものが果たす役割は大きい。そしてそれに、人々は影響されているのだ。しかしながら政治的な意図によって、思考は自由でありうるので、それを大いに活用して物事を考えたいと思う。でも、どの程度自由でありうるだろうか。
end
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