Sunday, 20 April 2008

What does 'being busy' mean to you?

以前東南アジア歴訪ツアーのアレンジを頼まれて、その依頼者達が現地に着いたはず。良い旅行になって欲しい。現地は相当暑いみたい。

忙しいことについて。

忙しいの「忙」という字は、心を亡くすと書くので曲者だと思う。今日は土曜日だったけど、相当いそがしかった。細々したこと、例えば洗車とか掃除とか衣類整理をまとめて片付けた。こういうことは単純だから、たくさんあっても平気。かえって効率よくすることをゲームのように楽しめるし、やればやるだけ確実に片付く。ある意味、一人遊びみたい。それに何故だか心も落ち着く。整理整頓するからだろう。

でもこんなこと、いくらやったって忙しいという感じでも漢字でもない。今日だけじゃなくてここ一週間くらいはそんな感じで、忙しかった。次から次へとやることがあったり、一つのことを何時間も何時間も静かにやったり。平仮名にしておくと変な感じだから、忙しいという字を使うけど、別に心を亡くすような忙しさじゃなかった。時間は過ぎたけど。そして頭を相当使ったけど。実際、心を亡くすどころか耕したような感じさえするのだ。

忙しい忙しいという時、自分は、そして他人はどの意味で忙しいと言うのだろう。心を亡くすという意味で忙しくしていれば本当に大切なことは見えないかもしれない。やるべきことに自分が支配されるという主客転倒のような現象。もちろんそんな悠長なことを言っていられないかもしれないし、忙しくすることで見えてくることもあるだろう。それを期待しながら多くの人は忙しくてもそれを甘受しているのかもしれない。でも何が見えるだろうと考えると、それは、本当は忙しくなくても、本来見えていた、或いは見えそうだった物事じゃないかなと思う。それが忙しさによって霞んでいただけだったりして…。どうだろう。

だから理想的には、その本来見えた物事を、しっかり掴まえておくのが良い。そうすることで自分自身が主導的に忙しさの原因に向き合える。その時、忙しくても心は亡くさないと思う。これができれば最高。でも難しい。様々な事柄に対して自分の考えを持つ癖が必要だし、精神的に成熟していないとそうはなかなかできないし…。自分は、黙考することでそんな感覚を少し養って、人と交わることで確認する、という作業が少しずつ、でも割としっかりできるようになってきた気がする。

自分らしさや個性が謳われるけども、考えすぎるせいなのか、自分には、そう声高に言っている人達のことがなかなか理解できないことが多い。自分らしさなんて、自分の中で静かに向き合うものじゃないのかな。いろいろモノがあって気が紛れることもあるけど中毒のようになって紛れたまま漂流しかねないし、その潮流の中にいることに気が付かない場合も有ると思う。

というわけで、心を亡くさない限り、これからも自分は他人のお願いや依頼に対してはイエス・マンでいよう。

end

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