Saturday, 15 March 2008

Being an adult ain't the same as being mature!?

どんどん細かい作業をしていると、どんどんどんどん時間が経ってしまう。そこへきて返信待ち、連絡待ち、回答待ちときて、物事が進まないことも。でもある程度の進展はあるので良かった。

ところで大人とは何だろう。最近そんなことをちらちらと考えているのだ。大人。子供、というか、厳密に考えれば、大人の定義が分からなければ子供の定義も分からないのだが、まぁ世間一般でいうところの、子供の頃、未成年の頃、自分は大人とはもう、すごく「大人」で精神面では特に安定していて、理性的な判断ができる、そんな存在だとぼんやり、勝手に想像していた。

でも実際はそうではないようだ。この自分が世間一般で大人と分類されている立場にいるからというのもあるが、どうも周囲を見ていても、そう感じることが、時々ある。そしてきっと多くの人もそう思っていると思う。

自分に関しても、自分のまんまじゃないか、と気が付く。日々過ごしていれば後付けの知識は入ってくるし、既存の知識は更新される。人に会えば人にあったで影響も受けるし考えさせられもする。この柔軟性はすごく良いものだなと思う。でもそれによって自分自身が変えられるようでは、まだまだかなと思う。あくまでも自分以外の人々や物事を解釈するのは、自分であるべきだ。これは、人間が社会的な存在であるが故に、100%というわけにはいかないとは思う。

大人なんぞは、本当はいない。年を重ねたって、経験が増えたって、大人になれるとは限らない。そもそも大人という概念があって、そういう存在に突然なるというのは不自然だ。中学生だから、高校生だから、大学生だから、社会人だから云々云々……、本来こういった突然の区別は不自然だ。アフリカ諸国の内戦が絶えない理由の一つは、植民地政策によって不自然に引かれて諸民族・部族を分断してしまった国境も一因だけど、ある意味これに繋がる気がする。

もちろん「……だから」、というのは必要。だって例えば男女の違いは厳然としてあるし、また夫婦と恋人同士とは大きく違うはず。故に、男だから、女だから又夫だから、妻だから弁えるべきことがあると思う。これは大人だから、というものとは違う。何故か。まず男だから女だから、というものとは違う。自然界では男と女の身体は生まれた時から違う。男はいつも男、女はいつも女。だから大人になるならないという類の議論は無い。だから違う。次、夫だから妻だからというものとも違う。これは制度だから、一見すると、これまた制度である成人つまり大人と似ている。しかし似て非なるものだ。成人つまり制度上の大人は一旦成ったら変わらない。夫婦関係は解消できる。「私が未熟だった…」云々は芸能人等の離婚理由でよく聞く。だから制度としては、やり直しがきくものだとも言える。

大人とは難しい。誰でもなれる。誰でもなれるから厄介だ。誰でもなれるから、否、誰でもなるから、社会制度として必要だ。そういった部分が分かれば、もしかするともう少し、その制度の中で自由になれるのかもしれない。

end

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