最近とあるウェブサイトやら国際電話やらメールやらやらで、国内外の人々と交信することがあって、そして彼らの近影を見ると皆元気そうで楽しい気持ちになる。そして彼らと過ごした日々も少し、思い出す。一緒にスポーツしたな、何泊か泊めてもらったな、食べ物にはうるさかったな、強情な人だったな、とか。
そしてその頃の自分は今の自分と比べて、お話にならない程無知だったなと思う。そして彼らと出会って大きな影響を受けたなと思う。刮目に値するかは分からないが、その後も良い意味で変わったと思う、少しは視野も広がったと思う。でもきっと、彼らと久しぶりに会ってもお互いにあまり変わっていないだろうなとも思う。でも自分が変わったのか変わらないのか分からない、変わらない部分があるというだけなのか、分からない。
ところで相変わらず凄惨な事件が続くから、慣れっこにさえなってきた。防犯グッズもたくさん売られている。聞くところによると、周囲が囲まれて監視カメラがあって更に警備員まで常駐するGated communityなる住宅街が米国を初めとする諸国に普及し、住人達はその中で、多発する犯罪から守られて安全な生活を営めるらしい。他の国々にもその影響でGated communityが増加する傾向にあるらしい(下の写真は米国のもの)。

これは対症療法であるので、一概にその現象の賛否云々を論議できない。←なんだか自衛隊をめぐる一連の論争に似ているな。念の為、米国はしばしば諸悪の根源であるかのように言う人々がいる。そう片付ければ簡単だが、それは間違っている。
凄惨な事件が多く起こるその一方で、最近「フリーハグ」(詳しくはここをクリック)という現象も起きているらしい(動画はこの下)。
Gated communityやFree hugs等、極めて限定的な現象だが、それらに代表される諸現象が世界各地で出てくる共通した土壌はあると思う。若干大仰になるが敢えて言ってみれば、民主主義と自由主義の地球規模的普及が、それらが必然的に内包する負の側面の要素である自己矛盾、排他主義、未成熟な民度、対抗する勢力の台頭等によって限界が露呈しているように思う。所謂「アノミー(一種の社会規範の綻び)」のガス抜きと言ったところか。このような状況だからこそ、様々な現象が、人間のレベルにおいて発現するのだろうと思う。
凄惨な事件が多く起こるその一方で、最近「フリーハグ」(詳しくはここをクリック)という現象も起きているらしい(動画はこの下)。
Gated communityやFree hugs等、極めて限定的な現象だが、それらに代表される諸現象が世界各地で出てくる共通した土壌はあると思う。若干大仰になるが敢えて言ってみれば、民主主義と自由主義の地球規模的普及が、それらが必然的に内包する負の側面の要素である自己矛盾、排他主義、未成熟な民度、対抗する勢力の台頭等によって限界が露呈しているように思う。所謂「アノミー(一種の社会規範の綻び)」のガス抜きと言ったところか。このような状況だからこそ、様々な現象が、人間のレベルにおいて発現するのだろうと思う。
アノミーが高じて犯罪という形を持つならば、それを律するために、ややもすると矛盾のようだが、自由主義体制の下においても犯罪に対する厳罰化が行われるのだろう。しかしこれもまた多分に洩れず対症療法であって、いろはうたのように、そして社会主義・共産主義の国家規模的実験が潰えたように、いずれ新しい体制が確立するのかもしれない。帝国主義、全体主義、社会・共産主義、資本主義…。 現体制を例えば転覆させようなんて夢にも思わないが、社会変革の兆しを見過ごさないようにしたい。一つ思うのは、漱石曰くどのような社会になってもそれは向こう三軒両隣にいる人間の作る社会だということだ。
下の動画は件の「フリーハグ」。いいなあ…(BGMの歌が)。 しかしどこか胡散臭く見えるのは自分だけだろうか。知らなかったらびっくりするけど、実際街で見かけたら試してみるかも、なんて。そりゃ相手によるけど。
end
下の動画は件の「フリーハグ」。いいなあ…(BGMの歌が)。 しかしどこか胡散臭く見えるのは自分だけだろうか。知らなかったらびっくりするけど、実際街で見かけたら試してみるかも、なんて。そりゃ相手によるけど。
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